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貪瞋痴(とんじんち)の意味と向き合い方|心の三毒を手放す考え方【つづき】

監修:アイフィットさいき葬祭 代表 柚木 力(葬儀事前相談員/運行管理者/葬祭経営士) | 最終更新:2026-07-30

この記事の結論

貪瞋痴(とんじんち)とは仏教で「心の三毒」——貪(むさぼり)・瞋(いかり)・痴(おろかさ)のことです。なくすことよりも「気づくこと」が向き合い方の第一歩です。

10年前に「仏教で『心の三毒』は貪瞋痴」という記事を書きました。ありがたいことに、いまでも毎日たくさんの方が読んでくださっています。あの記事は「つづく」で終わったままでした。10年越しの、つづきです。

貪瞋痴とは(おさらい)

貪瞋痴(とんじんち)とは、仏教で「心の三毒」と呼ばれる3つの煩悩のことです。

三毒は「なくす」ものではなく「気づく」もの

前の記事で私はこう書きました。「お坊さんでも一生かけてたどり着けないから、修行してるわけですね」と。10年経って、その思いは変わっていません。むしろ強くなりました。

三毒をゼロにできる人はいません。私にもあります。大事なのは、欲が出たとき、腹が立ったとき、「あ、いま貪が出とるな」「瞋が来たな」と自分で気づけるかどうかです。気づいた瞬間、毒は少し薄まります。気づかないまま振り回されるのと、気づいて一呼吸置けるのとでは、人生がまるで違ってきます。

葬儀の現場で思うこと

私どもは葬儀社です。人生の最期の場面に、日々立ち会わせていただいています。

お見送りの場では、不思議なことに、貪も瞋も痴も静かになります。棺の前で財産の自慢をする人はいません。怒りを握りしめたままの人も、お別れの時間のなかで、少しずつ手をひらいていかれます。

人は最期に、三毒を手放すのだと思います。だったら、生きているうちに少しずつ手放す練習をしたほうがいい。それが、10年前に書いた「生きている姿、その姿勢、発する言葉、それら生き様がどうかが大事です」の意味です。

今日からできる、たったひとつのこと

難しい修行は要りません。腹が立ったとき、心のなかで「瞋が来た」と名前を呼んでみてください。名前を呼ばれた感情は、少しおとなしくなります。これは葬儀の現場で、悲しみに向き合うご遺族を見てきて確信していることです。感情は、否定するのではなく、名前を呼んで認めると、落ち着く場所を見つけます。

よくあるご質問

Q:貪瞋痴は何と読みますか?
A:「とんじんち」と読みます。貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)の三文字です。

Q:三毒は誰にでもあるのですか?
A:あります。仏教では、三毒は人間なら誰もが持つものとされ、なくすことより「気づくこと」が大切だと説かれます。


筆者:柚木 力(有限会社Aifit 代表/アイフィットさいき葬祭・創業1947年)
葬儀事前相談員(全葬連)・葬祭経営士。プロフィールは監修者・編集方針をご覧ください。

よくあるご質問

Q.貪瞋痴は何と読みますか?

「とんじんち」と読みます。貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)の三文字です。

Q.三毒は誰にでもあるのですか?

あります。なくすことより「気づくこと」が大切だと仏教では説かれます。

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