10年前に「仏教で『心の三毒』は貪瞋痴」という記事を書きました。ありがたいことに、いまでも毎日たくさんの方が読んでくださっています。あの記事は「つづく」で終わったままでした。10年越しの、つづきです。
貪瞋痴とは(おさらい)
貪瞋痴(とんじんち)とは、仏教で「心の三毒」と呼ばれる3つの煩悩のことです。
- 貪(とん)——むさぼり。際限なく欲しがる心
- 瞋(じん)——いかり。感情をぶちまけ、妬み、恨む心
- 痴(ち)——おろかさ。無知で、自分勝手な心
三毒は「なくす」ものではなく「気づく」もの
前の記事で私はこう書きました。「お坊さんでも一生かけてたどり着けないから、修行してるわけですね」と。10年経って、その思いは変わっていません。むしろ強くなりました。
三毒をゼロにできる人はいません。私にもあります。大事なのは、欲が出たとき、腹が立ったとき、「あ、いま貪が出とるな」「瞋が来たな」と自分で気づけるかどうかです。気づいた瞬間、毒は少し薄まります。気づかないまま振り回されるのと、気づいて一呼吸置けるのとでは、人生がまるで違ってきます。
葬儀の現場で思うこと
私どもは葬儀社です。人生の最期の場面に、日々立ち会わせていただいています。
お見送りの場では、不思議なことに、貪も瞋も痴も静かになります。棺の前で財産の自慢をする人はいません。怒りを握りしめたままの人も、お別れの時間のなかで、少しずつ手をひらいていかれます。
人は最期に、三毒を手放すのだと思います。だったら、生きているうちに少しずつ手放す練習をしたほうがいい。それが、10年前に書いた「生きている姿、その姿勢、発する言葉、それら生き様がどうかが大事です」の意味です。
今日からできる、たったひとつのこと
難しい修行は要りません。腹が立ったとき、心のなかで「瞋が来た」と名前を呼んでみてください。名前を呼ばれた感情は、少しおとなしくなります。これは葬儀の現場で、悲しみに向き合うご遺族を見てきて確信していることです。感情は、否定するのではなく、名前を呼んで認めると、落ち着く場所を見つけます。
よくあるご質問
Q:貪瞋痴は何と読みますか?
A:「とんじんち」と読みます。貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)の三文字です。
Q:三毒は誰にでもあるのですか?
A:あります。仏教では、三毒は人間なら誰もが持つものとされ、なくすことより「気づくこと」が大切だと説かれます。
筆者:柚木 力(有限会社Aifit 代表/アイフィットさいき葬祭・創業1947年)
葬儀事前相談員(全葬連)・葬祭経営士。プロフィールは監修者・編集方針をご覧ください。