お葬式は “人生の卒業式”あなたらしい最後の時間を支えたい。

東広島ご依頼件数ランキング1位 10年連続獲得 ※一般社団法人日本儀礼文化調査協会調べ 通話無料 0120-315-312 24時間365日対応可能/匿名可能 メールでのお問い合わせ

ブログ

HOME ブログ 日々の事 【大流行新刊】葬式は、要らない 【島田裕己】

【大流行新刊】葬式は、要らない 【島田裕己】

ここをクリックして人気ブログランキングでこのブログの順位を確認してみてくださいbanner_24.gif

NEC_1783.jpg

皆様お読みになられましたでしょうか?

昨日東京出張の帰り際に、JR東京駅の書店で買ってみました。

読み手の受け取る部分によって、かなりの差が出てくるのが読書なので

おおまかな内容をお伝えしますと、

冒頭に「葬儀は厄介」「葬儀は準備時間が少ないから事前からしっかり基本方針を立てておくこと」「葬儀業はダーティーで、暴露本に書いてある明白だ」

「葬儀で大事なのは細かなやり方などの事ではなくて、葬儀の意味、必要性、時代とともに変わりゆく葬儀の変化量、それらを知っておくこと」とあります。

そしてこうもありました「一番大切なことは、納得できる葬式をあげることだ。あるいは反対に納得の上で葬式をあげないこと、簡略化することである」と書いてある。

中盤では「葬議代よりも問題は戒名料だ。」「日本は葬儀費用が諸外国に比べて高すぎる」「贅沢だ」「見出せない仏教の影響」「世間体を気にするから葬儀を贅沢にする」「戒名料の相場」「バブル期に平均70万円を超えた戒名料」「完全自前の葬式は可能か?」「火葬するのも贅沢」

そして巻末に
「本当の葬式とは」とあり「おわりに」で終わる。

本当の葬式とは・・・という部分はとても興味があったので注意を払い読んでみた。
「87歳で亡くなった恩師の葬儀に行った。財産の処理が大変なので、生前から準備をしていた。さすが恩師だ。人生は有限の命なので、どういう生だったかは葬式で反映され、死者は葬儀に訪れた人々に何かのメッセージを残す。かけがえのない人を失ったというものであるなら、葬儀の形は問題ではない。突然亡くなった場合は悲しみに暮れるだけだが、大往生だった場合は一番の幸福だ。悲しむ必要もない。一人の人間が生きた最後の葬式という事で、たくさんの人が集まる。これは亡くなった人の功徳(くどく)であり、遺族や参列者はその恩恵をこうむることが出来る。そういう機能が果たされるならば、誰もが上げてみたい葬式かもしれない。私達が目指すのはそういう生き方であり、死に方である。それが実現されるなら、葬式がどのような形のものでも関係ない。生き方とその延長線上にある死に方が、自ずと葬式を無用なものにするのである」以上

私は10回読み直した。この本を。そして、感じたことを書いてみる。あくまでも柚木の個人的な考え方ですが。

柚木「なるほど、世の中にはこの著者のように、葬式に対して悲観的、かつ、意味を見出せない方が多いのか・・・と悲しくなりました。巻末に、本当の葬式の定義をしてくれておられますが、これは常々勉強をしてきた葬儀社ならば10年前に全葬連(全日本葬祭業協同組合連合会)取り上げたテーマだったんですす。いい祭壇を飾ったところで、ご家族の心に響くいい葬儀をしなければ、その葬儀社は衰退する!と。私は葬祭経営しという資格を数年前にとりましたが、NEC_1788.jpg
何年も経った今、このような宗教学者様にすらきちんと認識がなされていないのか・・・残念。というのが本音です。しかし一方で、現在きちんと消費者のニーズを捉え、ぼったくりなど行わずきちんと営業なさっておられる葬儀社は、この学者様が抱いているような葬儀社のイメージでは全く無いという事を言っておきたいと思います。さらに言及すれば、巻末に書いてある「良いお見送り機能が出来るならば、葬式は要らない」というのは、矛盾しておるわけです。それはこういう理由になります。お世話になった方が亡くなった・・・。ならば会葬に行く。行くと朋友に会えた。いい人だったな~とみんなで故人を偲ぶわけだ。そうなると、写真の一つもいるだろう。集まる場所もいるだろう。故人に対して感謝の心で手を合わせたいという日本人の自然な感覚になるだろう。200円の菊の一輪じゃあ寂しいからもう少しお花を供えよう・・・ってなります。そして、遺族としても、これだけの方々が来てくれて涙を流してくれている・・・ありがたい。あらためて死者の功績を認識する。寒い中で遠方から新幹線で来てくれた人もいる。だとしたら多少のお茶か料理でもてなそう・・・。別に金額は無理しなくたっていい。出来る範囲内でいい。ってなります。これが・・・自然な葬式になる。言い換えると、ほっといても、こういう形にならざるを得ない。これを葬式というのじゃないか?って思うわけです。そういう理由です。現在の葬式の形は、、、、、実は自然発生的になったものであり、逆に、なぜそうなったかを分からない人は、例え学者さんほど賢い人でも、現在の葬式の理由を心からは理解しえないのだと感じましたね。もちろん、否定するつもりもまったくありません。色んな考え方があるんです!。」

逆に、葬儀社の現状を全て否定してみるとします。つまり、世の中から葬儀社がまったく居なくなったと仮定します。

まず、人が集まる場所(ホール)がなくなります。言いにくいですが、死体というものは、大往生で病院から綺麗なままで亡くなるだけではありません。すると、ホテルなどでは受入が困難でしょう。ホテルでは線香も炊けません。次の日に結婚式があるかもしれないわけです。

また、遺体の搬送はどうするのでしょうか?自分の車に乗せて運びますか?真面目な話、体液がマイカーに漏れるかもしれません。

集まってくれた親戚の数十人に料理を出します。スーパーで一度に同じ料理が揃いますか?そろいません。

そんな風に考えると、また葬儀社のような存在が登場するでしょう。消費者のニーズを汲み取った形で自然発生的に。
つまり、

人が自然に求めるものであれば、葬式や葬儀社は無くならないわけです。一般人が出来ないことをやるのが葬儀社です。

そう、本来の葬儀社とはニーズを汲み取っただけのものである!ということ。会社ごとの思惑で文化が動いた時代が間違いであって、本来の意味に立ち返ればシンプルな発想になれるといいましょうか。

誰が、赤の他人様のご遺体優しくを微笑んで丁寧に取り扱うでしょうか?同じお給料がいただける仕事なら他にもあるでしょう。しかし冒頭申し上げましたように、想像が付くと思いますが綺麗なご遺体様ばかりではございません、感染症を保有したご遺体様もいらっしゃるでしょう。その、精神的な部分を全てクリアできた特殊な教育を受けた者しか葬儀社の社員にはなれないのですし、心優しい人間にしか葬儀社社員は務まりません。魚を取り扱うのとはワケが違います。

そんな風に考えると、この本が日本でランキングに入るほど馬鹿売れしている事に素直に敬礼してしまいます。

みなさま、大変に興味をお持ちでいらっしゃるのだと。

葬式は、、、もっと心温かい人々によって(遺族のみならず葬儀に関わる我々も)執り行われています。戒名が高いと言いますが、戒名はもらうかもらわないかも昔から自由です。いつの時代の話をしているのか?と読んでみればバブル時代の値段は高かったと書いています。もうバブルから20年経ちました。葬儀社も、葬儀社社員も新しい世代に変わっていますよね。それに地域性が一番大きく、寺のお守りに経費のかかる都会なら高いのもさも当然でしょう。しかし、広島ですと、基本的に田舎ですから、東京より高いことはございません。

ここでせっかくなので、家族葬についても言及させていただきます。

家族葬というものは、実は葬儀社が作り出した文化ではなくて、多くの地方都市では、マスコミによって作り上げられた文化といっても過言では有りませんかね。理由は、長年やってきた葬儀社社長さんなら分かるんですが、人と人とのご縁を自ら切り裂くようなことはさせたくないと思うでしょう。おそらく当社の社長もそう考えると思います。しかし葬儀社の中に、大手葬儀社や流行ってる会社がやらない隙間(すきま)産業的な感じで取り入れた上で、広告に10万円で葬儀が出来ます!という風にやって、実際は30万とか50万の祭壇を飾らせる会社が一時期ですが横行した。でも消費者はわかるんです。だから人に好宣伝はしてくれないのです。「結局はあそこに頼んだけど○○万円もかかったのよ~」ってなる。全部ではないですけど、そういうのが多いという認識で間違いはないと思っています。
少なくとも、弊社から率先して打ち出したプランではないことを明示いたします。

人と人との縁を切り裂く可能性のある家族葬の意味を話してみたいと思います。

そもそも家族葬なるものを、マスコミの捻じ曲げられた報道によって【安く出来るもの。無駄を排除したもの。気を使わなくても良いもの】というイメージ付けがなされたように思います。

でも9年前から私は申し上げているのですが・・・

【安く済ませたいのか?持ち出しを減らしたいのか?】のどちらを重視するか基本方針を考えていただく必要がございます。
誰も呼ばない家族葬なら全部で60万円で出来ました・・・!と仮定します。
逆に、200人ものたくさんの方々が来られて、120万円掛かりました・・・!と仮定します。

日本の平均のお香典の金額が約5000円ですから、普通に葬式をしたら100万円のお香典はいただく計算になりますね?そうなると、120万円(葬議代)-100万円(集まった香典)=持ち出し20万円です。

しかし、親戚などは香典金額がもっと高いので実際は200人のお葬儀ならば150万円程度の香典があるのです。それに、広島の浄土真宗ですと、お布施は高くても30万円。この地域なら15万円程度です。そうなるとお布施に必要なお金もまかなえるわけです。

しかし一方で、家族葬で60万円だったお宅を考えると、丸々60万円は持ち出しですよね?それに、実際に誰にも言わないつもりだったお葬式でも、ほぼ9割以上の確率で周囲には漏れます。そうなると、後から後から皆様が訪ねてこられます。すると、いつまでも応対に追われますし、中にはこういう事例も聞きました。「家族葬をした父の親友だという方から怒られた・・・。なんで言ってくれんかったんじゃ!?」と。連絡さきが分からなかったというと、「それはあんた(子)が日ごろから親と関わってなかったからじゃろうが!・・・」と言って仏壇の前でその方は「すまん、すまんかった。最後に見送ってやれんで済まんかった・・・」と大号泣なさったそうです。

そして、そのご家族様があとで教えてくれた言葉が・・・

「死んだ親父には生前に大した親孝行もしてやらんかったのに、死後に大変な親不孝をしてしもうた~~~」と。

ですので、安く済ませたいのか?それとも、持ち出しを減らしたいのか?

ポイントはコレなんだと私は考えています。

それに、持ち出しが少なかったとしても、親の死後に親不孝をしたとなると、いつまでも後悔が残ります。

しかし、安く済ませる方法ならあるんですよね!?

いい葬儀社を探すことです!

まずは予算に見合った葬儀をしてくれる葬儀社を探すことです。

また、「わしの葬儀はせんでええよ!」っておっしゃる60代の方が増加中なのも肌で感じております。

しかし、葬祭経営士の立場から申し上げますと?

だとすると、もう今から一切、友人や知人には香典を持っていかないようにして下さい・・・とアドバイスさせていただきます。

その理由は、人は受けた恩は恩返しするように、脳内にインプットされております。よって、あなたが人に尽くした分は返って来る可能性が高いわけです。

それを、自分は人に対して香典や祝いを出すだけ出しておいて、いざ自分のときは受け取らん!って言うと、

残された家族が困るんです・・・。金銭の問題ではなくて・・・です!

よく見るのが「香典辞退します」の葬儀の時の受付での風景です。確かに、こちら側が尽くして無い人から見れば香典をしなくていいのは助かるかもしれません。しかし、考えてみて下さい。今までお付き合いをなさって来られた方々の先方さんは、基本的には同額のお付き合いで返してこようとしてくれますよね。

それを断るとなると、相手に失礼になるわけです。

中には「受け取れないっちゅうんか?じゃあお宅は今までわしん家(ち)に奉仕でやってくれとったんかい?おまえん方に恵んでもらわんとダメなほどうちが貧乏なんかい!」って声を荒げた方もいらっしゃいました。(その方の本心は違ったんでしょうけどね。その方が亡くなった故人様との生前の縁や付き合いっていうのは、息子さんが考えていたようなそんな簡略化されるようなもんじゃないだろう?っていうのを言いたかったのだと思いますが・・・。そして声が大きくなってしまったっていう感じでしょう)

水は上から下に流れます。
空気は透明です。
喉が渇いたら水を飲みます。

当たり前ですよね?

だとすれば、受けた恩は返すだけでなく、逆の立場もありえる。した良い事は返ってくる可能性が高いのもこれまた不変の法則なのかもしれません。

問題なのは、悪徳業者がそれを逆手にとって商売にすることでありますし、2010年、葬儀社もだいぶん淘汰された参っております。ホールを持たざる葬儀社は経営が厳しくなってもおります。または、ホールを持っていても、評判が悪ければ借金返済は毎月なのに、葬儀依頼が入ってこないわけです。競争激化の2000年以降でした。

淘汰が始まって以来あれから10年。

今生き残ってる葬儀社は、案外真面目にやってる会社だと思うんですけどね~~~。

文化のみならず、金額にも地域性で上下しますし、考えてみれば都会はホールの家賃やお寺の維持する費用も地方都市とは違ってだいぶん高いでしょうね。その中で、地域の方々がよく利用する葬儀社にまずは相談されるのが一番かと思いますね。

その会社が佐伯葬祭であることを願うばかりです。お話が嫌いじゃない専務もいますし(笑)

ま、この著者さんの言いたいことは「意味のある葬儀をしましょう!ワケもわからず高額を払う必要はないですよ!ワケが分からないままなら、意味の分からない200万を出さない方法もあるんじゃないですか?」って言ってると思います。でも、それなら、葬儀の意味についてもっと詳しく書けばいいのにな。これじゃあ単なる葬儀の批判だよってなります。

それと、ここ東広島が田舎なのかは知りませんが、まだまだ温かくて、こっちが涙が出るような葬儀が非常に多い!
これは本当です!

僕が司会をやらなくなった第一の理由は・・・あまりに素晴らしい家族愛、家族の絆を感じた葬儀において

「泣いてしまってマイクで喋れなくなったから・・・(汗)」

皆様はどのようにお考えでしょうか?

       

一覧を見る

関連記事

通話無料0120-315-312
豊富でお得な会員特典をご用意しております

さいきやすらぎ共済会のご案内

お気軽にご相談下さい

LINEでお問い合わせ

やすらぎ共済会への事前入会をご希望の方

電話をかける24時間365日対応可能

さいきやすらぎ共済会

LINEでお問い合わせ