責任感と現実の狭間に耐え切れない息子たち
「時代なんてパッと変わる」
これはとあるキャッチコピーライターの言葉です。
5年前、エンディングノートや終活が突然癌を告知された方や高齢者の中に流行した。
しかし、1~2年しないうちに「終活なんておやめなさい」という言葉が現れた。
多少ともやる気、体力のある葬儀社が東京発の文化をパクって終活フェアとか相談サロンをオープンさせた。
当初は「相談に来られた方に生前予約も取れて仏壇や墓石も販売できるチャンス」だった。
葬儀社社長たちは、誰もが「このトレンドに乗ればしばらくまた食っていける」そう思った。
しかし数年が経ち、首を傾げている社長の多いとの事(全国葬儀社を回る問屋が言う)。
「あれ?思ったより相談者来ないし、事前相談に来られる方の多くは近くにお身内がおられない方。とくに2016年は・・・お墓なんて売れるどころか逆に墓じまい、仏壇の魂抜き(処分)、そして葬儀の相談の内容は家族葬から何もしない直葬へ・・・。」
いち早く取り組んだ葬儀社が例え拝金主義ではなく、お客様を思ってのことだったとしても、トレンドに飛び乗るのは私は性に合わない。そんな6年間を耐えている。
いまね、団塊の世代が悩んでいるんです。
「地元に帰れないよ」「何百キロ離れたお墓参りが大変。」「でも長男なんだ、長女なんだってみんな責任感だけで頑張っていて」って。
近年、偉い人たちが「今こそ本来の日本人の心のあり様に訴えていかなければ」と言っている。
しかし、私の仏門師匠の住職はそんなことないとおっしゃいました。
「果物を見てみなさい。実になるまでに何年もかかるのに、朽ちるのは一瞬。時代なんか変わり始めたら早いぞ。時代は追いかけるもんじゃない。ただ誠実に己と向き合うのみぞ。」
個人的な意見としては、バブルで浮かれて、本来の日本人の持つべき心の教育をしなかった多くの日本人が、今更ながら「本来の日本人の心」とかいったところで、ほとんど通じないですよ。親は大切だ、友達も大事にしよう、先祖を大切に・・・こんなのキリスト教でもイスラム教でも当たり前のことでしょ。だからそこじゃないって思っています。
鎖国から開国、すなわち文明開化してから・・・しばらくは日本人の心も頑張った。しかしもう無理ですよ。
まして、第一次ベビーブーマーが70歳を迎えました。日本の一時代を築いた方々をこれ以上苦しめてはならんよ。
じゃあ葬儀社にとって大切なことって何なんだ?
私は「価格ではなく寄り添う価値すなわち共感力」。そう思っています。
言葉にするのは簡単だ。業界で同志を探すのも簡単だ。社員に理念が浸透していると自慢するのも簡単だ。
しかし本当に足元、大丈夫か?
社員は収入とのバランスも見ているよ。休みの数も重要だ。そして社長の付き合っている人脈も見ているぞ。
本当に足元、大丈夫か?
あの日書いた言葉を再度ながら思い出します。
今年は気付きの一年だったように思っています。
そう、「時代なんてパッと変わる」