SDGsは広範囲だけど簡単に言うと
SDGsのマーク、最近よく見ますね。
SDGsって何のことかご存じですか?
持続可能な開発目標ということは分かると思うのですが範囲が広いですね。国連総会で「これやっていこう」と採択されたのが2015年9月。ちょうどそのころ私もJCI(青年会議所)活動の真っただ中で、JCIからSDGsに対し、会としても協力するぞということで、6番目の安全な水とトイレを世界にという部分で運動をしたことがあります。しかしまだまだSDGsというものが何なのか?が知られておらず、しかも、発展途上国に対し我々が水を購入して送付するというだけのことで主体的に動けなかったことも今では懐かしく思い出します。でもやはり大きなうねりの中で国連の決定事項として生まれたものですから、い今となっては時流を掴んでいくしかありませんね。そんな方も多いのではないでしょうか。
さておきこのような色鮮やかなマークがありますよね、これのことをピクトグラムといったりアイコンといったりしますが、夏の日本オリンピックでもこのようなマークはあちこちで多用されましたよね。
さておきまあ、いくらSDGsがどうとかこうとかやってみても、世界ではアメリカと中国が子供でもわかる獲り合いもやめられない、誰かが大金を突っ込んでも中東のいざこざを止めることも出来ない。
なぜでしょう?
私なんかが知りえるところではございません。しかし、結果としては現状でそうなっています。
ただ、日本人が退化しないように気を付けなければなりません。それは自分自身の問題としても。
例えば結婚するときでも理由をつけて親族が一同で集まらない。お葬式でも同様。そうすると今後、民族としてそれはアリなのか?ナシなのか。。。
まあ考えてもみたら結婚の時に親戚を呼んでない夫婦が長年の時を経てお亡くなりの時だけ声をかける(声がかかる)こともまあないですね。
ちなみに葬儀の規模なんてものは、その人の生き方でいくらでも変わっちゃいます。
だとすると
お葬式は小さくていいというフレーズを多くの高齢者は最近好んでいるように見えますが
それを突き詰めて考えて出た答えは日本全体がどうも
「人と関わらなくていい!」と言い始めてないか?って。
どれだけご縁・人付き合いに疲れてるんだ?これではまずいのではないか?と思うわけです。
むしろ疲れているというより、人と付き合うことはお金がかかるといったコスト意識の貧乏性になってるのではないか。
でも命ってお金で変えられないんですよね。家に一人でいて大熱出した時に、ちょっとの水分で助かるのに、ちょっと前に119番で助かるのに。いいえ、むしろちょっとつながっていたら、助けてあげられたのに!と思える死もたくさん見て来たから言えるのかもしれません。
そこで僕は提案します。SDGsの18番目。勝手に作りました。