中国新聞インタビュー終了
ここをクリックして人気ブログランキングでこのブログの順位を確認してみてください
一昨日のことになりますが、中国新聞さんの取材が終了しました。「地元で踏ん張る企業!」みたいな企画コーナーがあるそうで、そこに出るみたいです。
記者さん「御社さんの特色は?」
私「えええええ、んんんんん、・・・・・・(笑)」
記者さん「思ったようにしゃべっていただいてかまいませんよ!」
私「ペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラ・・・・・」1時間(笑)
どんな記事になるか楽しみです。
うちの特色か~~~。
都会で流行ったものを鵜呑みにしないというのが先代、当代が守って来てることだから、私もそうしようと心がけています。どうしても世代間ギャップがありますので、新しいと思われる部分もあるのかもしれませんが、しかし、10年前に私が作った「やすらぎ共済会」、あるいは女性ならではのサービスに徹底したセレモニーレディーのアシスタント業務。今ではどこでも当たり前になっています。ただ、うちのセレモニーレディーのサービス精神は、結構いい線いってるように見えます。まあ、サービス業ゆえに、100人のお客様がいらっしゃって、100人から100点を戴くことは不可能なことは私も理解しております。
まじめなお話をしますと、葬儀とは葬送儀礼の略です。葬送とは送り葬る。儀礼とは慣習によってその形式が整えられている礼法、礼式とか、礼(相手を敬う心)と言われますが、【儀】という文字には続けるという意味があります。敬う心を続けて持つという解釈を私はしています。
つまり葬送儀礼とは(私流の解釈で言うと)相手を敬う心を持ち続けて、その方を送り葬るという解釈になります。
そういう気持ちを大切にしようと思えば自然と、葬儀というものを流行り廃りのマネーゲームにしてはならない!と強く感じるここ3年。
そこで3年かけて得た答えが
【温故知新】でした。故(ふる)きを温(たづ)ねて、新しきを知る!と言います。過去の事実を研究し、そこから新しい知識や見解をひらくという意味です。
中国新聞の記者さんに説明するのに苦労しました。記者さんは目に見えて何か新しいことを挑戦している企業を取材しようとしたんだと思います。しかし、弊社がいま新たな気持ちで取り組もうとしていることは・・・
とんでもない事をしようとしているのではなく、地域の空気(=ニーズ)に足並みを揃えたサービスを一生懸命に取り組む事ですし、10年前に私が立ち上げた生前予約事業(さいきやすらぎ共済会)をさらに拡大していくために
継続すること!
これが一番の取り組みだったものですから、はたしてどういう記事になるんでしょうかね?(ボツだったりして(笑))
継続は力と申しますし・・・頑張りますよ。
一方でみなさん、15年前の結婚式って新郎新婦がゴンドラから降りてきたのを覚えていますか?
あれは結婚式場側が勝手に作った文化でした。何か理由をつけて単価アップするためにやったことだったんです。なぜなら、どこの新郎新婦が何十万円も追加料金を出してまで「ゴンドラに乗せてください!」という人が居たでしょうか?(笑)そして現在では見事にそんなサービスは見ることはないです。つまり、求められたものなら存続していたでしょうけど、あのサービスを欲しがる人はいなかったという結論に至ります。
皆様ならお分かりのごとく、弊社ではあのようなサービスを作り出すことはしたくないと思っています。ただそれだけです。
お客様に金銭的、あるいは価値観の無理をさせてしまうと、客離れが起きると考えています。客離れならまだしも、葬儀離れが起きてしまったらどうでしょうか?実際にその節はあると考えています。
家族葬がいい例です。大手葬儀社があまりにも派手な葬儀を世に提供し続けたために何が起きたか?
それは世に空前の家族葬ブームを引き起こしてしまったのです(といっても葬祭業界だけの話ですが(汗))。
「そこまで派手にせんだっていいじゃろ~~~」という声を引き起こし、結果的には家族葬のように大きな式場を持っているにもかかわらず、その会場ではなく小さなお葬儀に対応せざるを得なくなり経営的には自分の首を絞めることとなりました。
株でも為替でも、行きすぎた相場は必ず反発局面で元に戻って参ります。よって私が現在の予想を立てているんですが
【1970年代~1980年代程度までの葬儀文化の反発(逆戻り)】は起こりうると考えています。ただし、物価も違えば、葬儀をする場所が自宅からホールへと移ってきましたので、まったく同じにはならないと考えますが、葬儀に関する価値観があの頃のように反発する可能性はあると思います。
変な話ですが、景気の良かった1980年代後半~1990年代前半までは、みんなの生活レベルが向上し(日本国民総中流階級になりました)心も豊かになりました。ゆへに、冠婚葬祭の時には喜怒哀楽の心情を形にして表現しようとする人が多くありました。がしかし一方で、2007年以降、100年に一度の世界同時不況が襲ってきて現段階では一向に明るい兆しが見えません。
そうなると、喜怒哀楽を形で表現しようとする心の豊かさよりも、現実を考える時代になっております。
私は社内でもいつもみんなに警鐘していることですが、
「良い時を当たり前だと思っては駄目です!いつ、どのようになっても耐えうる体力と、頭の柔軟性を持たねばならない!」と言っています。すっぱいほど言っています。
私は、ニーズを的確に把握し、どのようになろうとも知恵を使いみんなでやっていこうと思っています。反対に、ニーズを把握しないと言うことは、魚のいない海に糸を垂らすことに等しいと考えています。一方で、ニーズを的確に捉えたならば、魚が群れているスポットにトリプルの糸を垂らすことも出来ると考えています。双方にとってメリットがあるのは間違いなく後者です。
ただし、葬儀屋さんをしていく上でもう数点ほど気をつけなければならないことがあると考えています。
それは
一つ、「今だけのニーズを追っかける事はしてはならない!」
一つ、「メディアが作り上げようとしている世論に振り回されないこと!」
一つ、「月に一度回ってくる問屋さんが提案しようとする葬儀文化を信じないこと!(笑)問屋さんにとって我々はお客さんですので、まあ次から次に値段アップするための新商品を提案してきます(笑)」
その他たくさんありますが・・・。
理由は簡単で、あくまでマスコミや問屋や一部の消費者が訴えるニーズというものは斬新かつ目立つ意見であることが多いですが、多くの場合はそれが主流になってきていないという点です。はっきり言えば、家族葬だってまだまだ全然主流にはなっていません。
普通に近所付き合いをしているご家庭がいきなり同居の親が亡くなった時にいきなり
「誰も呼びません。近所の人も来ないでください」
なんて人はまずいませんでしょ?
親元離れた子供がどうしてもその土地を離れて行う葬儀、それが世に言う家族葬だったりします。しかし、親戚を呼ばないわけにもいかないでしょうし、本当に親子だけでやる葬儀は実際のところはマレです。
いろんなアンケート結果や調査結果を見てみると、近所付き合いや親せき付き合いがうまくいってないご家庭では密葬とか家族葬を好む傾向にあるのかなあと、何となく感じています。なぜなら、たとえば自分の父が亡くなったとしたら、「オヤジの親友に連絡してやらなきゃ!」とか、「オヤジの老後の趣味仲間に知らせてやりたい!」って思うのが
普通の子の役割、あるいは感情であると考えるのが普通ではないでしょうか?
それに、オヤジが亡くなって私が勝手にどこかで火葬して黙っておいたとしたら、それがみんなに知れた時はとんでもない親不孝者と言われそうです・・・(汗)
そういう風に考えると、このマスコミっていうのはどうせ若いプロデューサーが作る番組でしょうし、そこに出てくるコメンテーターは「奇抜な考えの大学教授」という設定が多いので普通の東広島市民の皆様は、下手に東京で作られたテレビ番組に惑わされないでほしいと願っています。
親孝行は生前にできなかったのに、親不孝は死んでから出来た!なんてことにならないように、しっかりと人生のエンディングプランを考えていただきたいと思います。
そんなような話も記者さんにはしましたが・・・
記者さんにとっては【実にまとめにくいお話だっただろう】と思われます(笑)
みなさん、私はいつでも会社にいるので相談に乗りますよ。お気軽に世間話。
南無阿弥陀仏