「かぞくそう」って家族で相談して決める葬儀のこと。
私が勝手に定義しますけどね
時代は空前の家族葬ブームです。
ブームと言っても、おいそれと先を急ぐものではないし、行列になるものでもありませんけどね。
ちまたでは家族と家族っぽいお付き合いをしている人だけが集まって葬送することを家族葬っていう感じです。
しかも家族葬の定義は、国が決めているわけでも、全葬連で決まっているわけでもありません。
ただ、何となく家族葬なのです。
ですので、消費者様が求めるイメージと、マスコミが提供してきたイメージと、葬儀社が実際に提供するサービスとが合致しないこともあるかもしれません。
さらに本来は、葬儀はそもそも望んで行いたいものではありませんからね。愛する人を失った家族がお金をかけて、いやいや行うのが葬儀ですよね?
その葬儀の形を学者や評論家やコメンテーターが提供すること自体がどないやねん。葬儀社が提案するんなら分かりますが・・・。
家族葬とは、例えば体を壊したときに生きてるうちに勇気を出して家族で相談して(出来ればエンディングノートを利用して)決める事であると定義したいですね。
家族+相談=家族相(葬)です。
最近ではエンディングノートというものがあり、自分史を作る事が流行りつつあります。何も、葬儀のときに司会者がナレーションを作るための参考資料ってわけではないんです。
家族葬って言うと、小型化されてきた結婚式の延長の不幸バージョンで、小さなホールやちょっぴりお洒落な洋風の民家みたいなところで親しい人だけで行うものとお思いになるかもしれませんが、それはハードウエア主義すぎます。言い換えたら、策がなさ過ぎます。
家族で相談して、「やっぱり父ちゃんの葬式のときはあそこら辺(親族関係)とここら辺(生前の社会的つながり(趣味・近隣・職場OBなど)関係)年賀状関係などには伝えとかなくてはならないよね?お世話になってきたんだしね。」ってなれば会葬者は息子の知らない人だってたくさん来るでしょう。
でも、父親と息子が相談して互いが満足いく形をイメージする。そしていざとなったらその通りで執り行うんです。
心配したほどは会葬者が来ないことだってあるでしょう。一方で、想像以上に来る事だってあるでしょう。
でも、家族で相談して決めたことだからいいんです。みんなが納得ですから誰から文句を言われる筋合いもありませんものね。※誰にも不義理することなく天国へ行くことが出来るのです。
そのように考えると、家族葬ってのは規模の大小じゃないって結論になります。
むしろカテゴリーで言うと一般葬になるでしょう。
家族葬の風潮を現状の状況のままで推し進めてしまうと【社会的繋がりや、葬儀以後の社会的つながりを自らの手で断絶したいんですか?】って思います。人に知らせない、教えない、隠す・・・そうすることで葬儀代も安く付く!っていう都合で行くっていう流れですね。
密葬が主流にならないのは、やはり家族の都合だけではどうにも行かない人のほうが多いからです。一般消費者の方がイメージされてる家族葬って、昔で言う密葬である場合が多いね。ホントに。
自分のオヤジの葬儀なのに「手間」や「面倒」を省くことばかりに目をやるんですが、それでオヤジやお袋は報われるのか?ってね・・・。
費用を安く抑えたいのであれば、良心的な葬儀社を探すことです。
前にも述べましたが、地元葬儀社ってのは今現在の事よりも後の評判を一番気にするので、意外かも知れませんが、異常に高い価格設定にはしてないところが多いんですよ。私はそう考えています。
おそらく、支払いが少なくて済むのは香典辞退の密葬。しかし持ち出しが一番多いです。
しかし、持ち出しが少なくて済むのは良心的な葬儀社を選択して行う一般葬です。
【葬儀社に支払う金額は少ないけど持ち出しが全額】という葬式と、一方で【葬儀社に支払う金額は人並みだけど、持ち出しが少なくて済む】っていう葬式。もしも将来お金の心配があったとき、あなたならどちらを選びますか・・・。まあお金の事ばかりを言ってるわけではないのですけどね。しかし、あなたが息子さんに家族葬のほうが迷惑を掛けずに安く付く葬式だと思って伝えていたら、実は息子さんにとんでもない出費をさせる可能性はあるということだけ、頭に入れておくと良いでしょう。
※密葬=本来は社葬やお別れ会や合同葬などのような社会的役割を持つ葬儀を行う前にまずは親族などで行う個人葬の事をいいますが、実際には密葬だけで終わらせる方のほうが多いので、社会的にあまり告知しない葬儀のことを言うようになっています。