やってはならない『しゅうかつ』とは
やってはならない「しゅうかつ」は「囚活」と「執活」です。
2010年でしたか、流行語にノミネートされたのに、今ではテレビでもほとんど特集されなくなって過ぎ去った『終活ブーム』
それはなぜか?についてお話させていただいたのが数週間前のブログですが、まぁ前回の切り口としては、葬儀社側が営利目的で広めようとしたこと(集客ツールとして使ってしまったこと)や、従来の義理や見栄でお葬式を出されるといったお葬式文化や、そういう人たちへの嫌悪感から、質素でいいじゃないか?という層の反乱?みたいなものをテレビ局やマスコミが煽りました。
先日のセミナーで参加された60代から70代の年齢の方々に聞きましたら、5年経っても変わらず
『やっておかなければならないもの』的なご意見が大半でした。
あるいは、みんなはやってるらしいのに自分はやってないから、何をすべきなのかを学びに来てみたという方も多かったです。
私の感想なのですが、老いと共に若い頃ほどは体が思うようには動かないという瞬間は訪れるわけです。ですが、それはわかっていても、わかっているからこそ、身体の様々な変化を受け入れ、生活スタイルを変え、目標を調整していったりとかするのです。
しかし、人はこれまでと違うことを受け入れることは、何かにつけてストレスは感じる、そんな生き物ですから、苦しい部分はあり、その先に得るものがあるならばと我慢するのかもしれません。また、責任感から変化に挑戦するのかもしれません。
しかし、少し視点を間違えてしまうと変わることが苦しくなります。
『しゅうかつ』が
『囚活』
あるいは
『執活』
になってしまってませんか?
恥ずかしい思いをしたくないからとか、意地でも子供に迷惑をかけたくない!とか、そんな心境になってやしませんか?
立場変わればというかもしれませんが、逆に、支える子供世代の我々として申し上げます。
『父さん、母さん、楽しい時間を過ごしてください』
『世間マスコミが言うほど、期待もしてないし、逆に自分の精神が乱れるほどいつもいつもは心配できないよ。そんなことより、いつか訪れる他界って、特別なことじゃない。誰しも必ず訪れる普通のこと。子供の頃に感じた力強い親父の背中、日々を生き抜く母の強さ、それが何かに囚われたり、執念で死の準備する姿を見たら、、、悲しくなっちゃう。』
むしろ看病や介護疲れで滅入っている方々が心配です・・・。時には施設にみていただいて思い切り集活(しゅうかつ)でもしてストレスをとにかくためないようにお友達などと語り合ったりしてもらいたいなって思っています。自宅で看取り介護しましょうという国の流れですが、介護疲れの子供たち問題も、実は重要なんです。
理屈じゃないんだよ?
嫌な思いをして100万円多く残してくれるより、生きて元気な間にあなたの思い出作りのために100万円使いきってくれたほうが、俺たちは幸せさ(^o^)
そんな子供たちがいることも、覚えててね!