社葬、一般葬、家族葬・・・その前に人として
2月から特別に教育していた社員さんをメインに社葬スペシャルチームを作りました。今朝は追悼ムービーの構成の打ち合わせしてます。
失敗が無きようではなく、感動的であるよう。
我々葬祭業界の一部は、いつから質の向上という高みを目指さない、言い換えれば価格を競うだけの「葬式は極力しなくていい」「家族だけでいい」を推進するダメなイベント屋に成り下がったのだ?
誤解はなきために話すと、家族だけでいいのニーズは普通にあります。しかし、葬儀社サイドが「家族だけでいいじゃない」「家族だけのほうが安いよー」という広告戦略がいただけない。その先にあるものを見なければ、故人は浮かばれない現実を。
商業ベースでは日飯を獲得するだけの仕事をとれたら良いの葬儀社でもよいが我々は違う。故人様とご家族の本当の想いを大切にし続ける。マスコミに流されない強い心。時に世論とはぶつかってでも守らなければならないもの。それは祖先を想う心。簡素化の波に、心まで簡素化しようとするのはどうか?と。
親や先祖を想う気持ちを軽んじるは、やがて巡って自分に跳ね返り、その自分は今現在の身の回りの人間を大切に出来るのだろうか?自分を軽んじるような人間に他人を幸せにする権利はあるだろうか?そして出来るだろうか?
最近の若者が結婚しようとしない問題が言われている。出来ない、出会いがない、お金がないと。しかし、人口減少時代に入ったいま、30年前に結婚したはずである親と同じような結婚生活があると思うこと自体がどうなのか、色んな不遇をひと(他人)のせいにしようとしてやしないか?しかし、若者をそんな社会観にしてしまった原因のいくらかは俺たちにあるのじゃなかろうか。
自問自答しながらチームワークでやりきる感動創造型儀式サービス提供企業であれ。と自分に言い聞かせながら…